2025.3.3
先日、「『すべては必要だった』という気づきによって過去はすべて肯定される」という言葉を耳にしました。これまでに同じような内容の話は何度も見聞きし自分なりに理解しているつもりでしたが、今回は何か別の新しい言葉のように自分の中に入ってきたように感じてハッとしたのです。今までとは違う何かを自分が掴もうとしている感じがありました。その後何度か「じゃあ、○○の場合もすべて必要だったと言える?」といった疑問が湧いては⁇になり…を繰り返していました。
そして、考えるのをやめ日常のあれこれに戻っていって・・・
庭の水やりをしている時だったかな、「あっ、そういうことか?」と腑に落ちかけた感覚がありました。小さな気づきのような感じです。そこであえて思考をめぐらすことをやめてそのままにしました。
その夜デコポンの皮をむいている時、「あぁ、そういうことか~」と、長年疑問に思っていたことの自分なりの答えが見つかったように腑に落ちた感覚を掴みました。小さな気づきが大きな気づきに繋がった瞬間でした。探すのをやめたら答えがやって来たような感じです^^その気づきというか深い理解というか『自分なりの答え』は、これからの私を後押ししていくと感じる程自分にとって大きなものでした。どんな気づきなのかは表現しきれないので触れません(微笑)
今までもそうでしたが、ぼ~っとしていたり、思考することではない何かに集中している時に気づきがやって来ることがほとんどです。今回も、何気ない日常の時間が如何に大切であるかを改めて実感しました。同時に、『理解』と『腑に落ちる』とは全く別のものであることも…。分かったつもりになっている多くのことが1つ1つ深い理解に変化していくことが楽しみです。